ビットコインと牛とエビとオレンジ

Rebright Partners Pte Ltd.

香港のビットコイン取引サイト「マイコイン」がサービス停止=被害者3千人、総額460億円超
2月8日(日)14時55分配信

三日前にヤフージャパンが掲載した記事である。

これを読んで多くの人が 「マウントゴックス以来のビットコイン取引所の大規模破たんだ」という感想を持ったり、あるいは「ビットコインの回収不能額が円換算で460億円も生じている」と受け止めたようだ。

事実ネット上にはそういう発言が多い。 (後にそれを修正している記事も、特にビットコイン専門メディア等にはいくつかみられるが)

しかしながらがらそれらは事実に即した理解とは言い難い。

そうではなく、ここで起こった事は、つまりはこういう事だ。

「ビットコインは儲かります」と言って不特定多数の人々から多額の資金を募ったものの、実際にはビットコインの買い付けはほとんど (ないしは全く) 行わずに、その資金を流用した、投資詐欺事件に関するニュースである。

現地の一次情報を報じる下記ニュースや、それを二次的に報じているロイターやニューヨークタイムズの記事など、ちょっと調べればすぐにそのような情報はすぐに出てくる。

Investors fear HK$3b losses in closure of bitcoin trading company

サウスチャイナモーニングポスト

つまりこれは、ビットコインそのものの是非とは、少なくとも直接的には無関係の事件である。

もっとわかりやすく言えば、こう例えるといい。

このニュースにおける「ビットコイン」という言葉を、和牛という言葉に差し替えたとしたら、あるいはエビの養殖だったり、超高利回りの共済保険という言葉に置き換えてみたら、文章はそれでもほとんど成り立つ

つまりは、過去幾度となく起きたこれらの有名な投資詐欺事件と、今回の事件の性質は同じである。

これらは、情報的弱者から、射幸心を煽って金をだまし取るという犯罪行為である。

前述の現地記事にはこうある。

81歳の老女が、ふだん付き合いのある不動産仲介業者から、「1年で200万香港ドル(3千万円)もうかるから」と言われて300万香港ドル(4千5百万円)を預けたが半分以上戻ってこなかった。

もうデタラメもいいところだ。香港に住む81歳のお婆さんが、しかも不動産業者から説明を受けて、ビットコインのなんたるかを理解していたとは普通は思われないだろう。

1年で300万が500万に本当になるとしたら、とんでもない高利回りだ。それに目が眩んだのだと思うのが普通だろう。

もちろん、当局が定める適正なリスク説明が行われていたか、そもそもこの集団がお金を扱う業者として必要な届け出を当局にしていたかなどの詳細は不明だ。 逆にそのあたりはプロが周到に行っていたのかもしれない。

いずれにせよこれは事件であるからして、そのような詳らかな事実は長い時間をかけた調査や裁判によってしかわからない。

しかしながらこの報道を見るだに、これは明らかにビットコインの技術的な安全性にも、仕組み上の良し悪しにも、全くもって無関係な話であるといって差支えないだろう。

以上が、冒頭のニュースが本来報じるべきであった事実である。

さてそのうえで、あえて「直接的に」無関係と前述したビットコインであるが、間接的には全く無関係とは言われないと私は考える。

ビットコインというのは、新しい金融プロトコルであり、革新的なイノベーションである。

イノベーションというものには、誰が、どのように使うかによって、常に危険が伴う。

更に言えば、それらはただ「新しい」というだけで、社会から警戒されたり、時には不当に忌み嫌われたりする

分かりやすい例をあげるなら、今後グーグルの自動走行車は必ず交通事故を起こすだろう。ドローンも民家や人間の頭の上に落ちるだろう。

そしてそうなればメディアは格好の餌食として、それを叩くだろう。

一般の自動車が事故を起す確率や、利便性を含めた対費用効果などをいったん度外視して、感情論が一旦は社会を支配するだろう。

同様の理由で、Lineを使って人をだましたり傷つける犯罪行為は、電話を使ったそれと全く変わらない性質であったとしても、必ず「Line」という言葉が主語として強調され報道されてきた。

ゆえに、冒頭の事件は「ビットコインを悪用した投資詐欺事件」と報じられる代わりに、「ビットコイン取引所の閉鎖、460億円の被害」と、主語が詐欺事件からビットコインに入れ替わるのである。

人間は未知を恐怖するようプログラミングされている。

だからある程度仕方ない。もっと言えば、人間の安全を担保するためにはそのような拒否反応も、安全性の検証のためには一定程度あってしかるべきとも言えるだろう。

またそれとは別に、お金にかかわる仕組みに関しては、悪だくみに利用されたり、明確な悪意は無いまでも自制の効かない経営者が大なり小なり問題を起す事は、どうしたって防ぎ難い。

これは新しいか否かは無関係である。既述の通り新技術でもなんでもないエビや和牛ですら、古今東西カネをだまし取るためであれば悪人はなんだって悪用するのだから。

いつの時代も、ごく少数の悪人はいる。

それに騙される弱き人々もいる。

そして未知なるものに怯える、大多数の人々がいる。

その一方で世の中をより便利に、より低コストに、より安全にするための新しい何かを創り出そうと、情熱を注ぎ、膨大な時間やお金を賭している人々もいる。

そのような人々の失敗を非難するのではなく、称賛したり、応援したり、あるいは自らのお金を預けて支援する人々もいる。

あなたはその、いずれになりたいだろうか?

それは結局のところ「自分がどうなりたいか」という意思と、情報の収集や物事の価値基準を磨いていくという努力によって、だいたいが決まるのだろう。

しかしながらまた同時に、弱者は常に一定程度、社会に存在する。

ビットコインは本事件に「間接的に関係がある」と既述したのは、そういった弱者の存在や被害を最小限にとどめるべく、関係者や業界をよく知る知識人には、やはり努力する責務があるという意味だ。

「それは悪人のせいであってビットコインのせいではない」といって突き放す態度ではなく、その新しい仕組みを社会に説明し、理解してもらう努力をしていくより他にない。なぜならそれ以外に、自らが産み出したイノベーションを世に普及させ花開かせるための道は無いからであり、それを行い得るのは、それを最も熟知する関係者やごく少数の業界知識人以外にいないからだ。

事実、関係者は協会を作ったり、様々な会を催したりして、そのような努力をしている。 引き続きそのような地道な努力を積むしかないのだろう。