先日、シンガポールで日本の第一線で活躍する人たちとアカデミックな場所で議論をする機会があったのだが、その中でやはりこのテーマに議論が及んだ。

「日本から世界規模のメガ・スタートアップが産まれるためには?」

これについては以前日本からGoogleやFacebookがどうしたら生まれるかというブログで私も論じているのだが

そのためには

「当たり前だがその分野で世界最大規模の収益を作らなければならない」  そしてその為には

「日本市場は既に世界経済に占めるシェアが小さいのでトップを獲ってもグローバル企業の10分の1くらいの収益規模にしかならない、だから世界市場を獲らないと論理的に絶対実現不可能」 では、そのためには

「Go Globalの精神および、世界競争に勝てる能力を持った人材が日本から輩出されないければならない」

と、ここまではほぼ誰も疑念の余地無く、アグリー。

問題はそこから先だ。

「いったいどうしたら、Go globalの精神と能力を持つ日本人が輩出されるのか?」

英語?

違う。いや違いはしないが、それは基本のキであって、有するべき必要条件の一つに過ぎない。それだけでは上記お題は実現しない。
教育? 教育は最も重要ではある。しかし上記は「教える」事は不可能ではないか。

私の、そして議論に参加していた他の有識者も同意する結論はこうだった。

グローバル志向を持った、かつその実践能力を持った人物を輩出するために最も重要な根本は、社会のダイバーシティ(人種や言語、文化の多様性)である。しかも、幼児期におけるそれである。

なぜ日本人は世界展開が不得手なのか、ビジネスだけではなく政治でもスポーツでも世界で活躍する人材が人口や経済規模や発展度合いに比して、他国より少ないのか。

その根本理由は単一民族で、同じ価値観、同じ見た目、(ほぼ)同じ宗教、同じ言語を話す人だけによって構成される、多様性の無い、したがって同調圧力の高い、ゆえに異才が育まれ無い社会だからではないか。

混ざり気のない100.00%ピュアな日本語の言語空間、いちいち説明も議論もいらない日本人同士の常識や慣習、行動様式。

そのような空間に産まれてから20年以上どっぷりとつかり、それ以外の世界の空気を吸ったことが無い人間。

そのような人間が社会人になっていきなり、中国人をマネジメント出来るだろうか?インド人と互角に議論できるか?アメリカ人と正面切って勝負できるだろうか?

想像だに難しいだろう。

欧州は地続きに複数の国・人種がひしめいているので、そもそもダイバーシティが社会に所与である。ドイツも英国も宗教や言語は複数共存している。

米国は言わずもがな。

インド人は元来グローバル志向が高く、米国の特にテック系企業のマネジメント職やエンジニア、科学者のインド人比率の高さは有名である。

中国はグローバル志向は実は必ずしも高くない。しかし国内市場が巨大でかつ伸びてるので、この手の心配は少なくともあと十年二十年はしなくてよい。

イスラエル、シンガポールなどははならから市場が無きに等しいくらい小さいから嫌がおうにもGo globalが大前提。

韓国は日本と同様に単一民族である。にも関わらず近年はグローバル志向が高いのは、国内市場が小さいからだろう。

日本はといえば、昔は大国だったからそうしなくて良かった。しかし今はもう大国じゃなくなってきた。
では中規模国家かというと、そこまで落ちぶれてもいない。要するに中途半端なのである。これがクセモノだ。

つまり、日本国内だけでビジネスをしていても日本国内では立派で、成功者で、強者で、心地よいという状態が日本にはある。

しかし「それは早晩、あらゆる産業が外国企業との競争にさらされ市場が奪われ、日本の企業や労働者は落ちぶれる」という人もいる。確かにそういう面もあるだろう。
しかし私がここで問題にしているのは、その事よりもむしろ、もっぱら精神面の問題である。

日本で高等教育を受けた、元来は優秀な若い日本人が、いつも心のどこかで、悔しさや劣等感を持って、残りの長い人生を生きていく事、その事が大問題だと思っている。

なぜそうなったかというと、一つの理由としては一昔前の世代は遠い海の向こうの話しくらいに思っていたのが、今の若者はインターネットの発展などで世界との心理的な距離がどんどん縮まっている事があるだろう。

要するに、もはや外国のすごい人や会社を無視できず、気になって気になって仕方ないのである。

現に私のFacebookウォールは毎日「イーロンマスクがどうの、ピーターティールがこうの」といった若い人の投稿で埋め尽くされている。彼らはスーパーマン級だとしても、それに準じるレベルの「スゴイ人」、「スゴイ会社」についての外国からの情報を毎日大量に浴びせられる。

そして彼らに比べて自分は負けている、桁二つくらい負けている、という事を気にせずにはいられない。

しかもアメリカだけならまだしも、中国にも負けてしまった。そしてこれからインドやシンガポールに負ける。いや既に一部で負けている。

そのような劣等感を所与の条件として日本人の若い優秀な人がその後の長い人生を生きることの問題である。

若い人の中にはこの意見に反対する人もいるだろう。「いや自分は別に劣等感なんか感じてない、むしろシリコンバレーの起業家の話はワクワクするし、励みになる」という人も少なくないだろう。

そういう人は一度ベイエリアに行ってみたら良いと思う。自分より年下の「本当にコイツが優秀なのかよ」というお兄ちゃんが数百億円の資金を調達して世界相手に勝負している様をみて、やはり同じ事を思うかどうか。

あるいは今はともかく、自分が30代40代になって海外出張に行ったり海外でカンファレンスに参加したとき、やはり何も劣等感を感じないという人はごく少数だと思う。

たとえ今は感じなくとも、劣等感を感じる時が来る。しかも優秀な人であればあるほど、強く感じる。

では、それを解決するのは何か?という答えが、先ほどの幼少期のダイバーシティである。

優秀だったり一生懸命な人はMBA留学もする。それはしないよりはずっといい。どんどんすべきである。
でも、おそらく高等教育では遅い。人間の価値観や基本的な思考様式、行動様式、そして言語体系は幼少期に作られる。

こう言っては何だが、これは心理学や統計学など色々なアカデミックな研究を経ないと客観的・数値的な論証は出来ないだろう。

しかし少なくとも、色々な国の土地を自らの足で踏んで、たくさんの外国人ビジネスをして、喧嘩して、友情をはぐくんで、そういう事を第一線で何年もやってきている人たちの共通見解がそれである。

ここシンガポールに移住している私の友人には、移住の理由についてこの点を最も重視している人が大半だ。大切な自分の子供を、社会で活躍し、輝いた人生をおくらせるためにどうするか? その答えがシンガポールという世界で最もダイバーシティの高い場所で子供を幼少期から育てる事なのだ。

日本が幼少期のダイバーシティを実現する事は、今は想像すら難しい。そもそもその善し悪しの議論からして紛糾して進まないだろう。仮に進むとしても、ここまで単一民族として実質鎖国のような状態で来たところ、いきなり「一億総ダイバーシティ開始」という事は現実的では無いだろう。

しかし兎も角も一部ずつでも始めない限り、事態はどんどん悪化するばかりだろう。

もたもたしている間も、優秀な人は大切な自らの子供の将来のためにどんどん国外に移住してしまうだろう。そして日本に残った優秀な若者には、いつも劣等感という暗い影が付きまとい続けるのではないだろうか。

これは甚大な国家的な損失であると思う。