パナソニック・ショックにみる「恐怖」のマーケティング

Rebright Partners Pte Ltd.

人間は生来、恐怖に対する興味や関心が高い
危険を察知してそれを回避しなければ生存にかかわるという動物的本能からして、当然といえばそうなのかもしれない。

そして古今東西、マスメディアはその人間の本能を巧みに使って商売をしてきた。
マスメディアは民間企業(そして多くは上場企業)であり、その根本的なビジネスモデルは「なるべく視聴数(視聴率)を上げる。そうすれば広告収入をより多く得えられる」というものであるからして、視聴数を上げるうえで最も有効な手段の一つである「恐怖」を使わない手は無い、という事なのだろう。

「このままじゃ日本は没落する、危機だ!」

連日のようにそのような類のニュースでもって、人々の恐怖心を煽る。
すると本能的に人々は注意を払う、つまり視聴数が上がって、メディアは儲かる。
しかし、恐怖に震えあがらせされた視聴者のほうはたまったものではない。暗い気持ちになって縮こまったり、諦めたりしかねない。
しかし、本当にそれは正しい脅威認識なのか?それを我々自身が、いちいち、自分の頭で考えなければならない時代なのではなかろうか。

その典型的な例が、昨日、日本中を駆け巡ったこのニュースにおいて、見られたように思う。

パナソニック7650億円赤字 13年3月期、63年ぶり無配

この 記事自体が問題と言っているのではない。何も煽ってはいない。

しかしこのニュースを二次的に取り上げる他のメディアやテレビ番組、またこのニュースに対するソーシャルメディアにおける世間の反応はどうだろうか?

それは例えば記事中で言及されているこの議論、

携帯電話事業ではスマホの展開で遅れ、かつてシェア首位を誇った国内市場でも米アップルのスマホなどに大きく水をあけられている。

これはこのところ巷間よく聞かれる「日本危機論」の典型的な一例ではなかろうか。

しかし、本質的にはこの議論はイノベーターが日本にはいるのか、いないのかの議論ではなかろうか。にもかかわらず、あたかも「日本沈没を象徴する一例である」、という論調になって伝播していないだろうか?そういう違和感である。

こういう事だ。
スマートフォンは高度化された最終製品である。しかしそれだけではなく、関連するコンテンツ産業やデータ通信産業など含めると膨大な市場規模であると同時に、Eコマースや交通などライフスタイルのあり方までも変えてしまう一大イノベーションである。

そのように大きく新しいビジネスプラットフォーム、つまりは新たな価値、新たな市場、新たな産業を生み出し、そしてそこで勝つ組織、そのようなイノベーティブな会社や産業が日本から生まれなくなってきている、あるいは生まれてもすぐに後進先進国にその地位を奪われる、そういう議論である。まさしくそれはその通りであり、それはそれで問題だろう。

しかし一方で、
日本の会社のうち、99%以上は中小企業である。日本人の大半は、中小企業で働いている。そしてごく一部のベンチャー企業等を除き、その殆どは既存産業で、既存のサービスや製品を売っている。
上記の例で言えば、スマートフォンという新たな「市場やデバイス」を生み出すような会社ではなく、そのすそ野の携帯販売会社であったり、その広告宣伝を請け負う地場の広告制作会社であったり印刷会社であったり、梱包資材会社、配送会社など「一般」の会社に勤める日本人である。

つまり、

「日本で新しい産業が生まれない」という事と、「それにより既存の産業に従事している大多数の一般的な日本国民が危機に陥る」
という事は、少なくとも直接的にはリンクする話ではない。

現に、上記の例であれば、携帯販売会社も、印刷会社であれ配送会社であれ、海外のイノベーターが生みだしたIphoneを担いで商売しているし、そのうちSonyやパナソニックが海外で全く相手にされなくなったように国内でも売れなくなったとしても、代わりに韓国のサムスンやLG、中国のHTCを売るだけの話だろう。事実売り始めている。

つまり、イノベーターが海外プレイヤーに入れ替わったところで、大半の既存産業従事者にとっては、少なくとも、直ちに、その理由によって何か甚大な被害があるわけではない、という事だ。

日本の下請け中小・零細製造業の「危機」

もちろん、日本の携帯端末メーカーに部品を供給している機械部品メーカー等にとっては、顧客たる日系端末メーカーが衰退する事は直接的な打撃であり、目の前に実在する脅威である。

そしてこの「日本の下請け製造業の危機」という恐怖も、メディアが好んで取り上げる分野である。

しかし、日本の製造業に勤める従事者数は17%程度である。そしてその割合は過去一貫して減り続けている。

もちろん、小さいから良いという話ではない。

そうではなく、製造業に直接従事していない8割の日本人が感じるべき正しい脅威認識なのだろうか?という疑問である。

さらに言うなら、経済発展やグローバルな産業情勢によって、産業はシフトしていくのが当然である。

新興国で模倣やキャッチアップが可能な軽工業や加工業などについては、「街工場の悲哀はひどい、何とかせよ」という感情論や「過保護」によってではなく、誘導的政策や技能向上や教育によって、「より高付加価値産業にシフトしよう」という建設論によって解決されるべき問題ではないか。

もちろん、だから「99%の中小企業、8割の非製造業に従事するほとんどの日本人は今後とも安泰だ」という話ではない。

それとは別の理由において、日本人の大多数を占める中間層の危機はこちらで論じた通り、別途存在する。

また、パナソニック・ショックについても、投資家や産業全体に与えるセンチメント(市場心理)に全く影響はないわけでは無いだろう。

しかし前記の通り、危機の種類をごちゃまぜにして議論したり、一部メディアの「恐怖マーケティング」によって間違った脅威認識をもたされている事があるのではないか、という違和感を、昨今禁じ得ないのである。