このグラフは何を示しているだろうか?
答えは、この100年ほどで起こっている世界人口の地方から都市への大移動、つまりアーバナイゼーション(Urbanization 都市化)と呼ばれる現象である。
青い右肩上がりの線が、世界の全人口に対する都市に住む人の割合、そして緑の右肩下がりの線が地方(農村部)に住む人のそれである。
たった60年前には、世界の人の7割が田舎に住んでいた。
先週はジャカルタで、再来週はデリーでスタートアップイベントに参加する。
よく何語でやってるんですか、と聞かれることがあるがすべてオール英語のイベントだ。
ちなみに先週は東京でスタートアップイベントに登壇したが、主催者側から日本語で話をしてくださいと言われた。久々に母国語だったのでたいそう話しやすかったが。
アジア諸国でなぜしょっちゅう、外国人投資家が集まるオール英語のスタートアップイベントがあって、日本であまり無いかという事を考えてみたのだが、理由は単純明快だ。
先日、シンガポールで日本の第一線で活躍する人たちとアカデミックな場所で議論をする機会があったのだが、その中でやはりこのテーマに議論が及んだ。
「日本から世界規模のメガ・スタートアップが産まれるためには?」
これについては以前
日本からGoogleやFacebookがどうしたら生まれるか というブログで私も論じているのだが
そのためには
「当たり前だがその分野で世界最大規模の収益を作らなければならない」
アジアの新興国に出張などで来られる日本人の方々から、ちょっちゅう聞く言葉がある。
「意外と発展してるんですね」
これは初めて来た方であればほぼ100%と言っていいくらい皆さんおっしゃる感想であるが、「意外と」という言葉が既に示している通り、この感想を抱くに至る元の前提が現実と異なっている。その前提とは以下のような誤解である。
新興国は日本よりかなり遅れている。
新興国の人は日本人より貧乏だ。
香港のビットコイン取引サイト「マイコイン」がサービス停止=被害者3千人、総額460億円超
2月8日(日)14時55分配信
三日前にヤフージャパンが掲載した記事である。
これを読んで多くの人が 「マウントゴックス以来のビットコイン取引所の大規模破たんだ」という感想を持ったり、あるいは「ビットコインの回収不能額が円換算で460億円も生じている」と受け止めたようだ。
事実ネット上にはそういう発言が多い。
米国のトップベンチャーキャピタリスト、マークアンドリーセンとフレッドウィルソンが昨今のスタートアップの資金調達が大型化している風潮について、Twitterで絡み合っていた。
@pmarca I assume Seed is to build product and get to PMF, Srs A is to build business, Srs B is to scale business
? Fred
東南アジアのインターネット業界で、ここにきて明確かつ急激に変化している点がある。
中国勢の猛攻だ。
中国ECの圧倒的覇者タオバオ、それを追う先日Nasdaq上場を果たした2位のJD.com、いずれも昨年半ばにシンガポールサイトを稼働済みである。
一方アリババはつい先日シンポスト、つまりシンガポールの郵便局の株を250億円で買って提携し、「電子商取引に関連した物流合弁事業」について交渉を開始した。(
新年あけましておめでとうございます。皆様のおかげをもちましてまた今年も新年を迎える事が出来ました。
昨年中は、公私ともに幸運に恵まれた一年だった。
私生活では第二子となる長男を授かったが、リブライトパートナーズとしても、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイで、Eコマースやメディア、アドテクなど、昨年単年で合計5社に投資実行し、投資先のフォローオン増資も複数社成功しつつある。
先日、メンバーズ社長でニュービジネス協議会委員の剣持さん主催の会合Connectで東南アジアのネット市場につき参加者皆様に話をさせて頂いた。
その中で強調したポイントがある。
東南アジアの経済規模はロシアより大きい
ロシアには、実は優良ネット企業は多くある。なかでも「ロシアのGoogle」と評されるサーチの巨人 Yandexは米Nadsdaqに上場し時価総額1兆円を付けている事は、日本ではそれほど知られていない。
このところ米国で
ベンチャーキャピタル(以下「VC」)が集まるカンファレンスに参加 したり、米VCとの協調投資案件がいくつか続いたりして、彼らの考え方や実情を色々アップデートする機会があった。
そこで改めて 「本当のところなぜ、米国だけに何度も世界規模の巨大なスタートアップが生まれてきたのか? なぜ日本にはGoogleのようなメガスタートアップは生まれないのか?」につき、私がふだん活動している東南アジアや、過去6年間働いた日本のVCでの経験とも照らし合わせ、考えてみた。
ベンチャーキャピタル(以下「VC」)業界は今、大きな転換期にある。
伝統的なVCのパフォーマンスが芳しくない、アクセラレータやクラウドファンディングなど新業態が台頭するなど、VC業界は大きく様変わりしつつある。
– VC is dead - そんな過激なキャッチフレーズをもってして、VC業界が対峙している大きな変化と今後の展望についてVC同士が議論する事を目的としたカンファレンス、それが「Pre
新年あけましておめでとうございます。
皆様のおかげをもちまして、今年も無事に新年を迎える事が出来ました。
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昨年は、数えてみたら55回のフライトと、115泊のホテル暮らしで、東南アジア各国と米国を飛び回った。
年初の目標として情報発信量を上げる事に意識を高く持って、インドネシア、シンガポール、ベトナム、米国においてスタートアップイベントなどで、パネルディスカッションやメンタリングセッションに何度も登壇した。
人間は生来、恐怖に対する興味や関心が高い。
危険を察知してそれを回避しなければ生存にかかわるという動物的本能からして、当然といえばそうなのかもしれない。
そして古今東西、マスメディアはその人間の本能を巧みに使って商売をしてきた。
マスメディアは民間企業(そして多くは上場企業)であり、その根本的なビジネスモデルは「なるべく視聴数(視聴率)を上げる。そうすれば広告収入をより多く得えられる」というものであるからして、視聴数を上げるうえで最も有効な手段の一つである「恐怖」を使わない手は無い、という事なのだろう。
世の中は、アービトラージ(裁定取引)であふれている。
人類の歴史は、アービトラージの歴史であった、といっても過言では無いかもしれない。
本来アービトラージとは金融の世界における裁定取引(さや抜き)のこと、
ある財が東京で80、シンガポールで90で取引されているなら、東京で買ってシンガポールで売る。
現在100で取引されていて、先物に90の値段が付いているなら、先物を買って現物を売る。
今世紀における人類最大の産業は情報通信産業であり、最大の経済地域はアジアである。 そのアジアのテック経済にいま世界中のマネーが結集しており、そしてそのマネードリブンでもってアジアはいま、ひとつの巨大な経済圏を形成しつつある。
その「アジア・テック大共栄圏」で実際にいま何が起きているのだろうか?
アジア・テック経済のモメンタムは今、明確に変わった。
アジアのテック産業の潮目は2010年頃から大きく変わったと筆者はみている。
本日、日経新聞が、中国アリババがアリエクスプレス事業をインドネシアで本格的に開始する事について、以下のように報じた。
アリババ、インドネシアでネット通販事業
2015/2/11 18:42 日経新聞
一方で、米国 TechCrunchは、以下の通り報じている。
Alibaba’s AliExpress Sets Its Sights On Indonesia’s Promising E-Commerce
今朝、米国で起きたとある出来事を報じるニュースに目がとまった。
Dropboxと並ぶストレージサービスの雄、
Box社がつい先日申請したばかりのIPOを延期した とのことだった。
理由は足元の米テック関連株価の軟調傾向だという。
確かに
この記事 にもある通り、直近ピークからGoogle株は12%、Amazon 17%、Facebook 21%、Nasdaq全体で9%と大きく下げている。
このところたまさか、同じ話題とおぼしきものを複数、目にする機会があった。
批判と楽観と誤解 -サイバーエージェント藤田晋社長のブログ-
「われわれはいつも、この先2年間に起きるだろう変化を過大評価しすぎる。そして、この先10年間に起きる変化を過小評価しすぎる。」 -ビルゲイツ-
上記はいずれも、ハイプサイクル理論と同じような状況分析に基づいているのだと思われる。
それは、「新しい技術が世に注目を浴びてから、社会に浸透するまでには、バブル的な過度な期待と、その後の失望を経てから、消えてなくなるものもあれば着実な評価を得て社会に広く適用されていくものだ」、というコンセプトであり、ガートナーという世界最大のIT系シンクタンクが生みだし、広く知られている。
ベンチャーキャピタルという仕事は、膨大な数の起業家に会って、話をする職業だ。
なかでも投資をした会社の経営者に関しては、創業期から上場して大成功したり、逆に失敗に終わるまでの間を定点観測的に見届けることで経営者としての成長を(あるいは成長しない事を)間近に見届ける職業である。
また一方で起業家は、あるいはこれから起業しようか悩んでいる人は、誰もが一度ならずこの質問を自らに問うた事があるはずだ。
「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」 - アラン・ケイ
「未来は知りえない、しかし自ら創る事はできる。成功した人・企業はすべからく、自らの未来を自らの手で創ってきた」 - ピーター・ドラッカー
「あしたはどんな日が待っているのかなあ」というのは、せいぜい小学校くらいで卒業し、誰もが多かれ少なかれ「明日は、来年はこうして過ごそう」という何らかの見通しや目標をもって日々を過ごしている。