スタートアップにとってピッチは本当に「必要」か?

Rebright Partners Pte Ltd.

昨今のスタートアップを取り巻く環境で顕著なのは、やはり何といってもピッチイベントの熱狂ぶりだろう。

私自身は、日本はもとより、シンガポールやジャカルタなど東南アジア諸国でのピッチイベントに参加する事が多いので、これが日本だけではなく、世界各地で起こっている「ブーム」といって良いほどのトレンドだと肌で実感している。

「ピッチで重要な10の**」とか、「投資家が求めるプレゼンの**」、などの類の情報も巷に洪水のようにあふれている。

ピッチイベントが増えている背景、理由のひとつには、弊社のようなインキュベーターや、あるいはシードアクセラレーターと呼ばれる、事業開始の直前から直後のいわゆる「シードステージ」と呼ばれるスタートアップ企業への投資または育成を生業とするプレイヤーの勃興だろう。 これにより次のような状況が起きている。

第一に、シードステージの企業は、事業実態がまだ無いので、当然、売上も顧客も無い。

なので、シードステージへの投資における評価対象は、事業のアイデアや今後の計画など、未実現の物事である。未実現であるがゆえ、実現済みの事業実体や収益のあるよりレイターなステージの会社よりも、より説得力のある、セクシーなプレゼンテーションを努力して作りあげ、そしてなるべく頻繁にそれを対外的にアピールする必要がある。

第二に、スタートアップ経営はボラティリティが高く、多産多死である。

設立から年月を経るごとに廃業や事業売却などで会社数は乗数的に減っていく。

つまり、設立数年後のアーリー/ミドルステージの会社に比べ、設立の間もないスタートアップは圧倒的にその数が多い。 よって投資家は、そのように極めて多数のスタートアップから投資先を選別する必要がある。そのためには短時間のピッチを多数のスタートアップがまとめって行ってくれるイベントは効率が良い、という投資家側からみた理由もあるだろう。

このようにスタートアップ側、投資家側の双方のニーズによって盛り上がりを見せているスタートアップピッチについて、それはスタートアップ経営者にとって、または投資家にとって、果たして本当に必要なのか? あるいはどんな意味において必要なのか? ここが今一度きちんと問われるべきではなかろうか。

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私は米国のシードアクセラレータの一角、Founder Institute でジャカルタ地区のメンターを勤めているが、先日そこのピッチイベントでメンター達からの辛口の評価が続いたとき、誰かがこんなジョークを言っていた。

 ジャックドーシーがここでTwitterをピッチしてたら、間違いなく落第だ。

しかしこのジョーク、案外いろいろな示唆を含んでいる。 これについて少し説明したい。

投資家は、投資のスタイルや方針など個別に千差万別である。

例えばFounder Institute もそうであるが、いま米国で隆盛のシードアクセラレータと呼ばれる、Y-combinator, TechStarts などは、システマチックにスタートアップを大量排出し、極少数シェア/金額をほぼ自動的に投資するようなプログラムを有する。また卒業生達はその後の、いわゆるシリーズAと呼ばれる、ベンチャーキャピタルからの本格的な初回投資を受けたり、あるいはGoogleやFacebookのようなメジャー企業による買収エグジットに至る機会も創出している。

その場合はもちろん、ピッチもある程度フォーマットに近いものがあるし、どうしたらシードアクセラレータに受け入れられ、卒業でき、その後の増資や買収エグジットを成功さしむるかのノウハウ蓄積が進んでいる。そもそもプログラムはそれを教えることに大半の時間を割く。

だから、ピッチは重要であり、彼らの活動のコアをなしているのである。

そのような背景から、米国ではスタートアップピッチは日々進化している。 だからTwitter も今のレベルのシードアクセラレータのおめがねにはかなわないかも知れない、というわけだ。

では、その他の地域ではどうなのだろう? 日本では?

第一に考えるべきポイントは、シリーズAファイナンスの獲得確率の問題である。

仮に首尾よく、数回のピッチを経て、無料のオフィススペースや少額のシード投資を獲得し、離陸できたとしよう。 しかしそれはほとんどの場合において、Proof of concept が済むまでのごく短期間の「つなぎ」に過ぎない。

そしてその「つなぎ」だけで安定飛行までたどり着くスタートアップは、残念ながら天文学的に少ない。

つまり、ほぼ確実に、遠からずVCや事業会社からまとまった金額の投資が必要となる。

しかしながら、米国(西海岸)以外の世界中のどの地域においても、シードからアーリーステージあたりのベンチャーファイナンスが米国ほど成熟している国はどこにもない。 つまり、ピッチイベントの元祖である米国ほどには、他の国ではその後のシリーズA獲得確率が大きくはないのだ。 それはM&Aエグジットにしても同様である。

これが第一の問題である。

第二に、「ピッチ」というもの、そのものの特性である。

スタートアップピッチに限らず、米国は何かにつけ「プレゼン」の国である。アサーティブに物を言い、説得し、利害を調整しようとする傾向が高い。そうDNAに刷り込まれている。

日本はどうか? もちろん素晴らしいプレゼンテイターも中にはいる。しかし概ねピッチする側も、される側も、スタートアップピッチという行為自体にまだ慣れていない。最近ようやく学習し始めたところだろう。

そのような状況下で、そもそも投資意思決定においてピッチの内容に重きを置く、という事は考えづらいのではなかろうか。

私の場合は少なくともそうである。 まずはチームを重視する。時間をかけて何度も話をして、ファウンダ―の素養や性格を見極める努力をする。 そして事業についても戦略や環境をじっくり話し合って見極め、こちらからもインプットを提供する。それはまた相互の方向性を合致していく作業でもある。 そしてはじめて投資意思決定に至る。

もちろんそうでない投資家もいるだろう。米国スタイルに近いシードアクセラレータも日本に登場しつつある。

また逆に米国だって、まるで「マネーの虎」のごとく、ピッチ一発で投資決定するなど、極めて稀だろう。

しかし総じて、日本の投資家にとって、ピッチが投資意思決定の要因に占める割合がそれほど大きくない事は、上記の理由において間違いないだろう。

だとしたら、日本においては、スタートアップにとってピッチは未だ無用な努力である、そういうこと事だろうか?

それについて私は逆に、スタートアップにとって、ピッチは大変有効であると思っている。

しかしそれは、投資を受け入れるためよりもむしろ、他の意義のほうが高いのではないかと思っている。

第一の理由は、ピッチは、それを作成・練習する過程において、思考が昇華される点にある。

アイデアは熟成され、無駄がそぎ落とされる。

説得力を増すためにデータを集め、分析する。 その作業はすなわち、事業のフィージビリティにダイレクトに寄与する。

第二に、投資家だけではない、ステイクホルダー全てへの訴求力の向上だ。

資金も大切だが、事業を離陸させるには初期の顧客やパートナーが決定的に重要だ。何も実績が無いスタートアップにとっては、彼らのエモーションに訴えることが大切だ。そのために良質なプレゼンテーションは、大変効果的である。

またピッチイベントに参加し情報を発信する事で、潜在的な顧客やパートナー含め世間に広くPRする効果も期待できよう。

投資家との1 on 1 のミーティングにおいても、相手を退屈させることなくしっかりアピールするためにも、ピッチイベントで腕を磨いておくことは決して無駄な作業ではない。要は目的と費用対効果を明確に意識する事であり、むやみやたらに数をこなしたりしない事だ。社長はただでさえ忙しい。

最後に。 とは言えやはり、事業の要諦はエクセキューションにある。

皮肉なことに、ピッチイベント華やかなりし当世では、情報は即時に世界を駆け巡るので、誰かが思いつくアイデアの大半は、既に他の誰かが、世界のどこかで実証済みである。 シリコンバレーの事業モデルは一夜にして全世界に模倣される。

しかしエクセキューションは、一朝一夕で身に付くものではない。泥臭いようだが、結局はそこである。

先のTwitterのジョークも、結局はアイデアやピッチで勝負が決まるのではなく、優秀な人が超ハードワークを厭わず諦めずにやり抜く事ではじめて、あそこまでたどり着いた、という事実を我々に教えている。

まずはその点を疎かにせず、そのうえでの、戦略的なピッチイベントの活用が肝要と思われる。