2019年頭所感

新年あけましておめでとうございます。本年も皆様のおかげ様をもちまして無事迎える事が出来ました。

 

今年のマクロ的な展望は NewsPicksの2019年テクノロジー地政学大予測 にまとめましたのでここでは主に精神面で2019年という年を展望してみようと思います。

総じて、上記にも論じた通り2極化が進展する「分断の社会」へと世界は引き続き突き進んでいくように思いますし、比較的軽度だった日本においてもその傾向は強まっています。

分断が進む中で人心の拠り所としての愛国心、右傾化傾向が世界各地で進行しています。中国ではドルチェアンドガッバーナ事件がその典型でした。また韓国の最近の政治・軍事的な動向も目に余るものがありますが、その根底にあるものは先進国でも異常に高い経済格差にある事は明白でしょう。その根本を解決せずして歴代政権に続く修羅の歴史を断ち切り近隣国に迷惑をかけない近代的民主政治の確立はあり得ないのでしょう。

 

ひるがえって我が国日本では、折しも30年ぶりの皇位継承が本年行われます。翌年に控える東京オリンピックも相俟って、愛国心・右傾化は高まり良い方向と同時に悪い方向にも従来より強くそれが発露される年になるのではないでしょうか。大なり小なり摩擦は起きるでしょうが、総じて良い社会にアップグレードする契機とすべく皆が意識を高く持って迎える必要があるように思います。

 

これら世界的な右傾化(ナショナリズム)の理由は既に多方面で論じられている通りグローバリズムの行き詰まり、これに尽きるでしょう。これについて私は昨年、2018年頭所感においてグローバリズム2.0を論じました。それは国家間競争ではなく都市単位での新しいグローバリズムです。そもそも国民国家の歴史というのは、実はそれほど長いものではなくせいぜい150年くらいのものです。企業経済が完全に国境ボーダレスとなり、個人単位の仕事・生活のスタイルもグローバル化が進んでいる昨今、国民国家単位で物事をとらえる事の限界に迫っているように思います。

 

以上の通り今年のキーワードの一つは「愛国心」(表裏一体としてのナショナリズム)だろうと思いますが、実のところ愛国心(Patriotism)というのは必ずしも国民国家に紐づくものではなく、諸説ありますが、郷土愛にそれを見出す論説もあります。

私にとって愛国心とは、家族、親族、友人とのつながりに紐づけてイメージするそれがしっくりきます。

物理的な自然人たる人間にとっては、経済活動のグローバル化によって「国(場所)の希薄化」が進むほどに、感情的には逆に場所への帰属意識、アタッチメント(愛着)が増すように思います。そしてその場所とは、統治システムとしての国家という概念上の場所ではなく、実際に家族の住む物理的な場所、生まれ育った街、友人家族が暮らす場所としての郷土ではないでしょうか。

特にFacebook社の一連のスキャンダルに象徴されるように、オンライン上の「ソーシャル」に綻びが目立った今日においては、物理的な、対面な人間同士の交わり重要性が増しているのだろうと、肌で実感するところです。

 

これに関連してピーター・F・ドラッカーはかつて言いました。

「私が見てきた幸せな人生を送っている人には共通点がある。二つ以上の世界を生きている事だ」

この言葉は時代を経るだに重みを増して感じられます。

 

そのような中、私個人としては今年はその点を意識した活動をもう少し増やして参ろうと考えております。

具体的には今以上に言論の場、情報発信の量を増やして行く事で、必ずしもビジネスに直結しない活動にももう少し積極的に取り組み、その事で人との出逢いを増やし、繋がりを深めるような活動に勤しんで参る所存です。実際そのプランもいくつか既に進行しております。

 

本年も皆様の益々のご多幸とご健勝をお祈り申し上げます。

 

2019年 元旦