2022年 年頭所感
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新年あけましておめでとうございます。皆様のお蔭様をもちまして無事この2022年も新年を迎える事ができました。
今年は2年近く振りに日本への一時帰国が叶い、大切な家族や会社のメンバーやお客様、友人皆様と対面でお会いし旧交を温める事が出来た素晴らしい年の締めくくりであった。さて昨年を振り返りつつ今年以降を展望すべく以下「7つのトレンド」を年頭所感にかえて論じようと思う。
- 斜陽化する日本と、GenZが切り開くトテツモナイ日本
- ポリティカル・コレクトネス至上主義時代
- 労働力が足りない世界と、労働そのものが不要になる世界
- 中国リスク
- 今年の株式マーケットは騒がしい
- 鎖国国家、日本
- 選挙と景気
1. 斜陽化する日本と、GenZが切り開くトテツモナイ日本
今後日本は斜陽化していく経済や社会と、一方でこれから光り輝く(場合によってはびっくりするほど途轍もない)それとが複雑に共存する数十年を迎えると予測する。
以降全てに通ずる大前提として、言うまでもなく何事も個別各論、あくまでミクロの個々人、個社によって全く異なる。がマクロで言えば、失われた30年を働き盛り世代としてどっぷり浸かり過ごしてきたバブル世代~氷河期世代ないしは団塊ジュニア世代と言われる今の40歳~60歳前後の日本人にとっての日本とは、総じて斜陽しゆく経済・社会共同体という事になると見るのが普通だろう。
しかしながら一方で全く違う景色もあるだろう。上記団塊ジュニア世代より後には、明らかにそれまでとは異質の才能が多数開花している。例えば大谷翔平27歳 藤井聡太19歳、大阪なおみ24歳、彼女達はいわゆるジェネレーションZ(GenZ)と呼ばれる世代の世界的に突出した逸材である。その世代の最大の特徴は生まれて物心ついたころからインターネットはもとよりスマートフォンがある、すなわちデジタルネイティブな人類初の世代であるという点にある。「デジタルネイティブ」である事は企業経営においては強烈なインパクトを成す事は過去ブログでも論じたが、当然に個々の人間のエンパワーメントにおいてもそれまでとは全く異なるインパクトを与える。SNSを自在に使いこなすこの世代には億円単位の年収を稼ぐ10代のインフルエンサーすらいるし、世界に5000万人いると言われるクリエイターエコノミーは兆円単位の経済圏を既に創出している。今後更にそれらがWeb3に総称されるNFTや分散化技術等のイノベーションを駆使して、デジタルネイティブ前史世代には想像もつかないインパクトの経済・社会を創り上げる可能性が、少なくとも超長期においては大いにあり得ると考えるしそう願う。そしてそれは日本社会全体にとっては、時に困難を与えつつも概ねポジティブな方向に働くと考える。更に言えば、仮にそれが本当に成功裏にテイクオフするようなら、世界には新たにメタバース (デジタルネイチャー世代以降が牽引する新フロンティア経済圏)VS ユニバース(物理原則に依拠する世代による斜陽化しゆくレガシー経済圏)という新たな対立軸も生むだろう。もっともそれはもう少し先の話にて今年気にし過ぎる事もないのかもしれないが。
2. ポリティカル・コレクトネス至上主義時代
人類がこれほどまでに「正しくあること」を極端に希求する時代は寡聞にして知らないし、その先の未来がこれによってどうなるかの予測もつかない。脱炭素、サステイナブル、ウイグル人権問題等々、人々の正義に対する要請が極大化した結果「EVにあらざるものクルマにあらず」、「飛行機でIRに来るような会社の株は買わない」、「ウイグル関連企業は何であれ不買、サイレンスは共犯」等々、それらはまだ分かりやすいほうであるがジェンダー平等や性的マイノリティに対する若い世代の理解共感は凄まじくすらある。GenZにおいてはその流れを破壊的とすら言えるパワーで推し進めている事は19歳のスウェーデン人、グレタ・トゥーンベリの例を持ち出すまでもなく知られたところである。この世代にあたる私の中学の娘のクラスメートたちを見ていても、公正を良しとしその逆(と彼女たちが見做すもの)を激しく糾弾する傾向がどんどん先鋭化している。学校教育もメディアもセレブリティの振舞いも全てが左を向いている故であり、いつの時代も子供や若者がそういう時代の空気に最もビビッドに反応する。するともはやポリティカル・コレクトネスはクール、カッコイイとなる。だから世界のGenZアイドル最高峰BTSが国連でいかにもポリティカルにコレクトなスピーチをする。
LGBTQも彼女彼らにとってはその権利を云々取り沙汰される対象というよりもはや「カッコイイ」、憧れの対象である。結果アメリカ人の6%がLGBTを自認しているが(それ自体少なくないと思うが)GenZでは16%、つまり20代のアメリカ人の6人に1人はLGBTを自認している。
公共トイレの男女区分が世の中からどんどん無くなり、美人という誉め言葉はルッキズムの名の下に禁句となる。受験や就職時に年齢を書かせる事はエイジズムと誹られ、妻や夫、のみならず彼や彼女という代名詞がタブー視され始め、MrやMrsに代わるMxなる代名詞が発明される。メタバースやVRのような非身体化を促進するテクノロジーもこれに呼応する。それで言えば小学生低学年の私の息子はオーストラリア人の親友とRobloxを通じて毎日嬉々として遊んでいる。そこには私が彼の年齢時分には野山を掛けずりまわっていたのとは真逆に身体性は皆無である。人類はこれらが我々自身に与える影響につき正直良く分からないまま、まっしぐらに猛スピードでその方向に突き進んでいる。その先にどのような世界が待っているのか、人口動態にも経済・社会活動全体にも個々人の精神や肉体にも多大なる影響を与えるはずであろうことは皆薄っすらと意識しているだろう。それにつきここで敢えて大雑把に予測をするならば、次のような二つのシナリオがあるだろう。
一つは、大きな反動がどこかで生じる可能性。何事も振り子は左右に触れるものであるが、特に誰かの権利を守ろうとする運動が盛り上がるほどに、本来それが直接の理由で憂き目を見ているわけでは必ずしもない人々によりスケープゴートにされバックラッシュを喰らうという事は過去の人権運動において極めて典型的に起きている。人種差別問題も、移民排斥問題(≒反グローバル人材)もしかり。
第二のシナリオとして大なり小なりそのようバックラッシュは起きつつもそれを何とかこんとかいなしつつ、人類がひたすらに「平等・公正原理主義」に突き進むというシナリオ。その場合、物理的自然人としての人間は男女、年齢をはじめとして様々な区別を所与として生きているにも関わらずそれを人工的に限りなくゼロに近づけようという試みであるが故に、いかんせん変数が多すぎて何とは特定できないものの何らか個々人の精神や肉体及び社会全体に対して、重めの副作用を与える可能性は高いと予測する。その副作用が今人類が希求している公正や平等という果実に見合うものなのか否かは、その時にならないと誰にも分からないだろうし、その判断は人によって全く違うだろうし、仮に今それが分かったとて、この流れが止まるものではないのだろうが。
3. 労働力が足りない世界と、労働そのものが不要になる世界
このところ人々が生活のために必要なカネを稼ぐ行為に対する社会からの要請が漸減している。なぜか。過剰流動性とテクノロジーの進展である。テクノロジーが労働を代替しているからであり、過剰流動性による資産インフレによって「カネ自体がカネを稼げる」度合いが増しているからである。工場や倉庫やプラントや作業現場ではFAやロボティクスによりオートメーション化が進み、オフィスにおいてはSaaSやRPAなどのDX推進によってどんどん人が要らなくなっている。したがって人間はこの間わざわざ不要な仕事を作ってまで雇用を維持するという事をやってきた。つまり調整や段取りや根回しという業務であるが、いい加減それに飽き飽きしてきた現代人はそれらをBull shit jobという下品な言葉で罵り、コロナという世界大戦並みのリセットインシデントも後押しして、いよいよ米国では昨年あたりからGreat Resignation、大量離職時代が到来した。FIREなる言葉が流行り皆がロビンフッターとなってアプリで株式売買したりペイパルのVenmoやスクウェアのCashAppで仮想通貨売買をしたりして、「働かなくても食っていける」人生設計を行い会社を辞めて(あるいは辞めないまでも会社にすがることなく)資産運用に血道を上げている。それも過剰流動性のなせる業である。
この点については、遠くない将来各国でベーシックインカムないしは何らかそれに近い制度が導入され、既述の過剰流動性を背景としたFIRE的トレンドも含めて少なからぬ人々が会社勤めをしない今までとは不連続な変化の時代が訪れる可能性が高いと予測する。日本では終身雇用の崩壊やらメンバーシップ制からジョブ制へやら副業奨励やらと、企業の雇用・労働環境の変化が巷間論じられるが、そういう今までと連続した変化ではない、上記のような根本的な「労働不要社会」に近づくスピードのようが速いと、ここではそう予測しておく。これはある意味で、産業革命以降3世紀以上続いたブルジョアジー(資本家)とプロレタリアート(労働者)の分離につき、再びその2つを1つの人格の中に取り戻す革命として、実は我々はもっとエキサイトすべき事象なのかもしれない。
一方で、世の中には働き手がいない事によって入手不可能になる財サービスも出てくるだろう。例えば水産加工業に従事する手作業労働者。これにはいくら大枚をはたいても過酷な肉体労働を嫌う日本人からは働き手が来てくれなくなった。よって「技能実習制度」という名のまやかしの移民制度によってベトナムやフィリピン等新興国から若者を連れてきてはこき使い、それを世界から人権侵害と非難されている。いずれにせよ彼らの母国が十分に豊かになるのは時間の問題である。そうなれば実際に中国が既にそうなったように、彼らとて来てくれなくなる。その時道は二つ。テクノロジーによってその労働を代替するのか、我々の贅沢な食卓からカキやホタテという食べ物が消え去るか、いずれかである。 2022年以降の5-10年程度の当面の日本においては、そのように「働き手が足りない場所と、働き手が要らない場所」が不均衡に共存する社会となるはずである。
4. 中国リスク
5年前の2017年の年頭所感において、日本の今後30年を見通す際に最も重要なファクターは中国であると説いた。さっそく今年は日本の、ひいては世界全体の最大のリスクファクターが中国であると多くの機関や識者が予測を立てている。
中国は米国と経済覇権を二分するほどの勢いを増すにつけ2018年あたりから諸々変調が見られたがいよいよ昨年、名実ともにこれまでとは不連続な大方針を打ち立てた。皮肉なことに共産主義国家でありながら世界で最も「資本主義的」であった同国は、世界の振り子が新自由主義から逆に振れ始めたその先頭をひた走るかの如く、実質的な脱・新自由主義宣言を行ったのである。鄧小平が名付けた「先富論」という名のトリクルダウン理論を修正し、「共同富裕」という名の格差是正に大きく舵を切り、矢継ぎ早にそのための極端な規制や処罰を断行した。そしてとうとう昨年2021年11月11日、中国共産党は国を固めた毛沢東、経済大国を成し遂げた鄧小平に次ぐ3人目として習近平を真のリーダーとして仰ぐべく、文字通り歴史の教科書に彼の名を刻む金字塔たる「歴史決議」を採択したのである。
そこまでして成し遂げたい大事業とは何か。国際社会における名実ともに覇権の獲得ではなかろうか。 とすれば米国との産業競争上の優位性獲得と国家存立上重要な地政学的紛争地域の奪取、すなわち産業の脳味噌たる先端半導体リーディング企業群を擁する台湾の平定である、という推論はあり得るのではなかろうか。
いずれにせよ中国が地球上の他のほとんどの国とは大きく一線を画し、内向きに強い引き締めを行い、どんどん国内の人々が海外を知らなくなる排他的で「鎖国的」な性質が極まっている。歴史を紐解けば国が内向きになると国民は更に他国排斥へと傾く。その先に何が待っているのか。今年かどうかは分からないが近い将来、すぐ隣で沖縄米軍基地を有し台湾が目と鼻の先にある日本は、少なくともある種の覚悟はしておくべきかもしれない。
また同時に不気味なのが同国のゼロコロナ政策である。オミクロンの前にこれが崩れ去る時、あるいはもう来月にも開催されんとする北京オリンピックで万単位の人々が国内外からそこに参集する時、どのようなリスクを世界に与えるのか、そのインパクトは計り知れない。昨年までの世界経済の最大のチャレンジであったサプライチェーン寸断問題はこれにより一層の混乱が生じるだろう。以上総論するなら、今年の世界最大のリスクが中国である事はほぼ間違いないだろう。
5. 今年の株式マーケットは騒がしい
昨年の株式相場を一言で表すと、非常に平和な相場だった。米国株は大きく下げる場面はほとんどなく順調に上げ続け気付けばS&P 500の年間上昇率は27%、相変わらずアメリカに見劣りするとはいえ日本株もTOPIXはなんとか10%上げて終わった。
2022年はそういう「凪相場」とは真逆となるだろう。
まず基本感として、今年は「金融相場から業績相場へ」と切り替わる、いかにも株式市場の教科書的な転換点となる事がほぼ決定付けられている。コロナ突入後異次元の金融緩和によって大株高、高マルチプル(株価収益倍率の高騰)が2年続き、その後FRBが十分に昨年から長い時間をかけて市場対話を首尾良くこなしたうえで今年から満を持して量的(テーパリング)、質的(利上げ)ともに金融引き締めが始まる。これを織り込んで早速年初来株価は調整をしている。しかしながら金融政策の効果が効いてくる事に加えて今年はコロナの収斂によりこれまで痛んできた企業業績が昨対比で大きく跳ね上がる。すると金融政策によりドーピングされ跳ね上がっていたマルチプルが下がるのと入れ替わりで企業業績が上がるため、株価は健全なレンジに維持される。これが業績相場である。
さてこのような状況はマルチプル・コンストラクションとも呼ばれる。利益に対する株価の倍率(PER)が、いやそれどころか大赤字にて利益が分母では計算出来ないゆえ売上に対する倍率(PSR)が、平時の何倍も膨れ上がってきた昨年までの状況(マルチプル・エクスパンション)が逆流して収縮(コンストラクション)するタイミングの事である。この現象を最もまともに喰らうのはグロース株、なかんずくハイパーグロース株である。昨今におけるそれは典型的にはこの2-3年ほどのSPAC上場を含むIPOブームで上場したような赤字のテック企業群だ。故に昨日までモテモテだったテックバズワードを冠した類のテック系の新興上場企業達が今最も市場でメッタ斬りにあっている。
もっとも、そうして上場してしまったある程度規模がある会社が今すぐ死に絶えるわけではなく、問題はもっとアーリーステージの未上場スタートアップである。これまで何年も続いたマルチプル・エクスパンション相場を前提にしたユニコーンのプレIPOラウンドを前提にアーリーからシードに至るまでスタートアップの資金調達環境はハイパーインフレが続いていた。ところがマーケットが逆流した今それがどうなるか、計算するまでもなく自明である。もっとも昨今ではドットコムやリーマンと比べてベンチャーファンディング市場参入者の量、桁が違う。いわゆるドライパウダー(未消化のファンドプール金額)が膨大なのである。またバラエティも豊富であり、特にCVC含むコーポレート投資家はベンチャーファンディング全体の過半を占めており(特に日本は圧倒過半)、彼らは相場がどうあれ明日からDXやらイノベーションに取り組まなくてよくなるわけでもないのでそう簡単にすべてを放り出すわけにもいない。よってこれまでのマーケット下降局面とは違って一斉に全員さっと引く、という事は考えずらいだろう。しかしながら影響は小さく見積もるべきではない。何故ならこういう局面では質への逃避が極端に起きるからである。セクターレベルでもユニットエコノミクスが良いそれに投資家は集中し、個社レベルでも良い会社、良いディールのみにカネが集中する。そうでもない会社の苦戦度合いが今までより跳ね上がる。
これについて、世界最高老舗ベンチャーキャピタルのセコイアはリーマンショック2008、コロナ発生2020年にそれぞれ警告書を発布している。ところが後者は天下のセコイアも目論見を(良い意味で)外した。コロナで相場がむしろ爆上げしたからである。がその内容は今こそアーリーステージ起業家は読むべきだろう。ここでそのエッセンスだけ一言で要するなら、それは「生き残る者とは最強の者でも最も知性的な者でもない。変化に最も適応する者である。」というダーウィニズムである。
以上を前提に今年の相場全体の予測をまとめると、セクターローテーションはあるし短期の調整もあるものの、超長期のテクノロジー至上主義的メガトレンドは普遍と考える。要するに、例えばリヴィアンが暴落してもテスラはそこまで大崩れせずに持ち堪える、2019-2021年上場組の大赤字ハイパーグロース銘柄は今は奈落の底だが本当にユニットエコノミクスがメイクセンスな会社は生き残る。結局のところ社会のDX要請も、今回人類をコロナから救ったmRNAワクチンを生み出したコンピューティングパワーも無くなるわけでもなければ、今後とも量子コンピュータやらWeb3やらのテクノロジーフロンティアは広大である。そしてそれらはすべて時間軸の違いこそあれ、最終的には「換金可能」なのである。総じてテクノロジーとそれに携わる個人や企業の未来は今後とも明るいと信じる。
6. 世界に類まれなる鎖国国家、日本
グローバリゼーションの逆流ないしはグローバルとローカルの分断。これは日本に限った話ではないし超長期のメガトレンドでもある事は4年前の2018年 年頭所感でも論じた。以降もほぼ毎年このテーマについては論じている。しかしながらそれに輪をかけて、コロナが長期化した2021年は日本が明らかに他国に比べ極端にその傾向が高い事が露呈した年だった。日本政府は昨年末に在外邦人の日本入国を実質禁止し、また外国人の入国をほぼ全面的にシャットダウンした事は周知の通り、前者はさすがに世間が騒ぎ数日で撤回されたものの後者は未だに続いている。もっともそのこと自体よりも重要な点は、その事につき実に9割の日本国民が是としている事だろう。つまり日本人とはその実、いざとなったらいとも簡単に外国人を完全シャットダウンし、同胞すらも見捨てかねない自国(民)第一主義志向性を明確に有した国民であるという事である。故にこのような明白な民意に裏付けられた政府は堂々と、さしたる科学的根拠がなくとも、在外邦人や日本国籍を持たない在日外国人、日本在留資格を有する外国人、そしてそれらの家族等々に著しい負担や苦痛や世界からのレピュテーション棄損の犠牲を全く持って顧みる事無く、自国民第一主義をかかげる国民の総意であるところのゼロリスク政策を今もって淡々粛々と遂行している。極めて美しく民主主義が機能している国である。
これにより当然の帰結として、日本の経済回復は世界比較で一段の遅れを取っている。そしてそれ以上に深刻な事は、言うまでもなくグローバル経済人・企業、学者・学生・研究者の日本離れである。誰でも知っている著名なグローバル企業の日本法人代表である在日外国人が一度クリスマス休暇で家族に会うために母国に戻ったら二度と日本オフィスに戻れない。日本の大学に合格した外国人留学生が2年待っても就学できない。そのような事を続けていれば世界から日本がどういう評価がなされるかは自明だろう。これは中長期の日本経済・社会に多大なるボディーブローとして作用するに違いない。さすれば政治が今まさにリーダーシップを発揮すべきは、そのように国民が恐怖によって視野狭窄に陥っている時、国家十年の計でもって民意に対峙してでも為すべきを成す事だろう。
7. 選挙と景気
アメリカと日本をはじめフランス、ブラジルその他世界の多くの国において重要な国政選挙がある。大方の見立て通り、私もアメリカ中間選挙は与党民主党の敗北、日本の参院選は逆に与党自民党の勝利とここでは予想しておく。但し問題は、選挙結果は両国真逆であったとして、両国ともにそれが経済にとってはマイナスである点では一致している、という事だろう。米国では完全に国会とホワイトハウスがねじれる事で今でさえ苦戦している予算通過はままならず、もはやアメリカ名物となった感すらある政府機関閉鎖も大いに可能性はあるだろう。日本においては岸田政権のマーケットによる評価は論じるまでもない。四半期決算取りやめ、金融所得課税強化、自己株取得制限ルール等々、朝令暮改したものが多いとは言え就任来矢継ぎ早にこのようなアンチ市場主義経済的な言動を発してきたゆえ世界で日本株はほぼ一人負けの状態になる。もっとも、そもそも新しい資本主義を掲げて総裁選で選んだ自由民主党、ひいては同党を先の選挙で選んだ有権者、そして次の選挙でも選ぶであろう日本国民の総意が、そのような破れかぶれの平等幻想に浸り、見たい現実だけ見ているのだとすれば、もはや憂いていても詮無いという事だろう。
もっとも、政治家にとっては実にラッキーな事に、今年は誰が何をやっても景気が上向く可能性が高いだろう。無論オミクロンの次なるコロナ変異種の台頭(それはほぼ確実だろう)や、その毒性や伝播性にもよるためあくまで可能性の話ではあるものの、既に最も急激な感染スピードを見せた英ロンドンと米ニューヨークでオミクロン感染のピークオフが始まっている。たったの1ヵ月そこらである。またそもそも対オミクロン戦においても米英はワクチンが普及した事に加え経口薬とワクチンの効能も一定程度確認されたことをもってデルタ前とは異なるウィズコロナ的対応でもって経済・社会のリオープンを進めてきた。オミクロンで一瞬ひるんだ局面も無くはなかったが大筋ではそれを崩すことなく進んできたことからも、仮に困難な次なる変異種が台頭したとて大きく後退する政策は考えづらいだろう。とすればオミクロン終了後にはとんでもない一大リバウンド経済が待っている可能性が高いだろう。これは最も対コロナで保守的な日本とて参院を成功裏にやり過ごしさえすれば盤石化した政権の興味はいい加減に景気に向くであろう事も考えれば、こちらもとんでもない訪日ブーム一大景気が待っている可能性はあるだろう。という事で、景気に関して言えば2022年は中国を除くほとんどの国がオミクロン克服後リバウンド景気が待っている可能性が高いと予測する。
ではこれでめでたしめでたしか、と言えば2022年はともかくとしても、その後はまた別の話だろう。
俯瞰して見るなら、ドナルドトランプ米国大統領という存在は半世紀近く世界経済を牽引してきた新自由主義の断末魔だったと言えるだろうが、その断末魔が消え去った今、ポスト新自由主義を模索する過程においてはメディアが煽り世論が形成され、その世論が政治を作るという「メディア民主主義社会」において、どの国も大なり小なり社民政権に偏るだろう。だが不都合な事に社民とはその名の通りには社会も民(たみ)も幸福にする能力が無い事は歴史が証明している。よってそのことに失望し極右と行ったり来たりする国もいくつかあるだろう。現に未だに米国ではトランピストのほとぼりが冷めては熱しの一進一退を繰り返している。いずれにせよマクロの経済・社会は人類にとって暗黒の時代に突入したのかもしれない。一方でテクノロジーと過剰流動性の波にうまく乗る一部の人々や、GenZ以降の若者世代が切り開く全く新しいフロンティアにおいては、既述の通りそれほど暗い未来ではないだろう。そのように極めてアンビバレントな景色がこれからずっと続くと思われる。